営業戦略と広告の関係性

「広告」は文字通り「広く告げる」ということです。情報を広め、期待する効果を引き出すものです。営業戦略は売上予算を達成するために必要なことですが、この営業戦略のなかに広告は巧く織り込まれるべきものです。「広告」と「販促」をわけて考える風潮が少し前までありました。例えば、テレビCMは広告、折り込みチラシは販促、というようなことです。
ですが、そのように考え方をわけるのはナンセンスです。広告であれ営業活動であれ、最終的は売上を出して利益を上げることが到達点です。広告によって発生したムーブメントを、如何に拾い上げて売り上げにつなげるのかということを考えれば、売上を出すめの広告には何が必要なのかを営業的な側面から補強することが出来るはずです。それをあえて分けて、ただ広告を出すことが仕事である部署などはあってはいけませんし、情報が集まらないのを広告の部署のせいにしてもいけません。マクロ的な観点からトレンドを把握し、どのようなクリエイティブ、どのような打ちだしを行うのかを考えることは大切ですが、それが実際の営業現場と違和感があってはいけないのです。もし営業部門のスタンスとが広告的観点からはずれたものであるのであれば、それを指摘し、是正するのも「仕事」のうちです。見て見ぬふりをし、広告を乱発するだけでは何の意味もありません。
企業の規模が大きくなるごとに、このセクショナリズムは顕著になります。対して個人レベルのショップであれば、このような取り組みはひとりの担当者で簡潔するものです。そのような販促の方が効果をあげることが多いです。ただ低予算ですから、どうしても露出の面でいけば大企業には勝てるものではありません。大企業の費用対効果感覚はザルのようなものです。広告とユーザーの1つの接触に対して何万円もかかっている、ということなどはよくある話です。そのような広告とショップの販促をくらべることがそもそも間違いなのですが、大企業の「認知」というためだけの広告活動は結果的に購入数を上げるものにもつながっています。しかし、そのプロセスは圧倒的な予算による大量露出によるものであり、個人レベルで対抗できるようなことではありません。
営業戦略と広告は表裏をなすものです。どちらが上でもなく、等しくプライオリティが高いものです。ともに情報を共有しあい、ともに切磋琢磨しながら、その市況感、その景況感の中で、手持ちの商品をどのようにして販売していくのかを工夫するのです。そのの連携が外れた途端に、効果のない広告が乱立し、実績の上がらない営業となります。そうなってしまえば業績は落ち、結果として個人の給与はさがります。最悪の場合、職場がなくなります。ほんの些細な情報共有をしないがために、実績が落ちるのは愚の骨頂です。営業現場の声を知る、広告部署の情報を聴くという歩み寄りが合ってこそ、適切な販促活動になるのではないでしょうか。